昨年度は大学における観光教育の現場も試練の1年だった。最も影響があったのは就活。観光業界を夢見た多くの学生が別の道を歩んだ。特に辛かったのは人一倍努力してきた学生たち。頑張る者が報われない現実にかける言葉を失った。中には気持ちの切り替えができず就職浪人する者もいる。留学を断念した学生も多い。世界一周放浪の旅を勧めたいところだがそれも難しい。看板の学外実習も中止に追い込まれた。教員は来年があるが学生にはない。未開講は教育機会の公平性から問題があるためオンラインで代替したが十分と言えない。受験者・入学者への影響も必至。幸い本学は入学定員を確保したがコロナ前が夢の泡だったことを実感した。人気でなく信頼が大切なのはビジネスも大学も同じ。出口が見通せないなかでも観光に期待を抱き門をくぐってくれた若者に何を伝えるべきか、本当に頭を悩ませた。
現場の人が直接語りかける姿に
教育事例を1つ紹介する。本学は2年前にエイチ・アイ・エス(HIS)と産学連携協定を締結し、同社の協力の下、産業界で活躍する実務家を講師とした寄附講座を実施している。講師は旅行・航空・宿泊・メディア・施設・ガイド・DMOなど多岐にわたる。一昨年までは「観光ホスピタリティ産業のキャリアデザイン」をテーマに学生の進路設計の一助とすることを目的としていた。しかし、コロナで打撃を受けた企業側に採用意欲はなく、テーマの再考を余儀なくされた。悩み抜いた末にたどり着いたテーマが「ポストコロナの観光産業の可能性と旅の本質」だった。背景は2つある。
第1にメディアで報じられる2次情報に一喜一憂して不安に駆られるのでなく、現場の人が直接語りかける姿に希望を見出せると考えたからだ。観光産業の現場で何が起きているのか、奮闘のありのままを語っていただくよう各講師に依頼した。100年後の未来のために記録として遺しておくべきだという研究者としての思いもあった。「コロナで打撃を受けている観光業は大変だと思いますが、講師が前向きに考え、いまできることを真摯に取り組んでいることがわかり、希望が持てました」という学生のコメントに象徴されるように、傍観者から当事者へ学生の意識変容がみられた。
第2に不要不急のレッテルを貼られた観光について産学共創で再定義を探求したいと考えたからだ。未曽有の事態に対する正解を誰も持っていない。ならばと、授業自体を知識創造の実験室としてデザインした。オンラインならでの授業とするために地方や海外の講師ともつないだ。研修の一環として HIS社員にも聴講生になっていただいた。講師が一方的に講義するのでなく、時間の半分は対話形式とした。また「あなたにとって旅とは何か」を全15回共通の問いとして講師に尋ねた。
講師の答えに誰一人として同じ答えはなかった。「人生そのもの」「生きる原動力」「視野を広げる発見」「自分の素を取り戻すこと」「自分の価値観を 振り返る 経験つくる先生」「新たなビジョンを広げること」「出会いと学びと幸せを得ること」「物理的・心理的に境界を超えること」「どれだけ楽しめるかの実力テスト」「生き方を変えるエンターテインメント」など生きた言葉があふれていた。「あらためて問われて、自分の考えを言語化することで頭の整理もできて、今後の経営に生かせそうです」という講師のコメントがあった。
言葉を並べると、旅は単に楽しい遊びではなく、人々の精神的な豊かさをもたらし人や社会をより良く変える可能性に満ちたものであることがよくわかった。この問答から明らかになったのは、講師全員が観光を提供する人であると同時に観光をする人であることだ。全員が自身の旅人としての経験から「旅とは何か」に対する言葉を紡ぎだした。観光を提供する人の視点だけで語る人はいなかった。観光をする人の立場から観光を再定義することで観光の可能性の手掛かりを得られた。
出所:駒沢女子大学「観光文化入門Ⅱ(2021年1月15日)」授業レポート「旅とは何か」自由記述より作成
※出現頻度が多いほど大きく表示
※青色:名詞、赤色:動詞、緑色:形容詞
※対象65名、総抽出語数8,099語
この対話は受講生の学びにも影響を与えた。図は授業の最終回に「旅とは何か」について、受講生に自由記述で書かせたレポートを対象にテキストマイニングを行った結果である。テキストマイニングとは、名詞・動詞・形容詞などの単語の出現頻度から調査対象者の特徴を把握する定性調査法の1つである。授業初回に同じ質問をした時には出現しなかった「学び」「価値観」「成長」「出会い」「人生」「幸せ」「豊か」「文化」などの言葉が表れたのが特徴的だ。
ここに出現した言葉から、観光の定義を「楽しみのための旅行」としてとどめることは困難であることがわかる。観光が人と人をつなぐ媒介であると同時に、人と社会を変革する未来像をこのキーワードから読み解くことはできないだろうか。
観光をする人のための観光学として
近年、インバウンドブームもあって観光は経済的なプレゼンスを高め、ダイナミックに変化した。そうした社会要請に沿って、観光研究も産業側や地域側の課題解決を志向する分野が主流となった。しかし観光の主体はそれだけではない。観光学は観光を提供する人のためだけでなく、観光をする人のための学問でもあるべきだと考えている。観光を不要不急でなく、人類に不可欠で心豊かな文化的営為としていくためには観光従事者の卵を育成するだけでは不十分だ。旅人がいなければ持続可能ではないしビジネスも成り立たない。また、コロナによって新たな巣ごもり需要が生まれ、何らかのコストや阻害要因を伴う観光を楽しみのための行為として訴求するだけではツーリズムの未来は開けない。
そんななか、学会ではリベラルアーツとしての観光教育や小中高校生に対する観光教育の検討、観光者のコンピテンシー(行動特性)、リテラシーや行動変容など観光をする人を対象とした研究も活発化している。コロナで需要が蒸発したいま、産業側がやるべきは需要の刈り取りではなく、需要創造のはずだ。旅の効用を主観的な経験則ではなく科学的なエビデンスを基に解明して、新たな経験価値へ進化していくことが求められる。
その意味で産学共創の意義は大きく、筆者が参画するANAの旅と学びの協議会は好例だ。科学的知識(抽象)と実践的知識(具体)の行き来と融合がフロシネス(中庸的実践知)を創造するはずだ。狭義の観光産業の境界を超えた大きなうねりとなって、一時的な人気ではなく信頼ある持続可能観光をする人のための観光学として な観光へアップデートできることを期待したい。
(以上)
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