旅心を忘れない~人を幸せにする旅行業の本質~

嬉しいことがあった。2年生の学生が研究室に1人でやってきた。授業中に紹介したとある旅行会社のアルバイトをしているという女子学生が、「働き始めてまだ1ヶ月だけど旅行業っていいですね」と伝えたくて来ましたと。なんと嬉しいことか!

なぜなら、自分が大学教員の道を選んだ理由は、旅行会社だけではツーリズムの素晴らしさを伝えきれないと思ったから。ツーリズムの価値を多くの人に伝えるには、ツーリズムに関心のある人々だけで出なく、関心のない人、特に若い人に知ってほしかったからだ。

「旅行業の何がいいの?」と聞いたら、「旅行って人を幸せにする仕事だと思いました。先日バイト先で、男女カップルの外国人のお客様から電話が来て、「彼女の誕生日を祝いたいのでスカイツリーの近くでお勧めの場所を教えてほしい」と訊かれた。でも、すぐに答えられなくてとても悔しかった。いろんな体験をしないといけないと思った」と。


この話を聞いて、旅行会社勤務の2年目の出来事を思い出した。私が旅行業を天職だなと思ったエピソードを紹介しよう。


ある時、20代女性からお電話をいただき、「父と母と妹と家族4でハワイに行きたい」と。4人の航空券とホテルの手配だけであった。当時私は、入社後2年目で少し慣れてきたことだ。その頃は、毎月100~200名の間のお客様の手配をしていたので、お客様の希望を聞き、無難に手配して送り出した。


ところがそのお客様の代表者であった方から、旅行終了後約10ヶ月後に電話が突然あった。何かトラブルでもあったのかとドキドキしながら電話を取ると、「前回のハワイ旅行はお世話になり、ありがとうございました。実は、一緒に旅をした父が先日亡くなり、手配して頂いたハワイ旅行が最期の家族旅行でした。とても最期のいい思い出になりました。父は末期がんが発覚していた状態でしたが、どうしてももう一度ハワイに行きたいということになり、心配だったですが家族全員で時間を合わせて行くことにしました。妹も働いているので、みんなの時間を合わせることも実は大変で、家族旅行って本当に貴重な時間ですね。しかも、申込当初、キャンセル待ちになってしまい、旅行はあきらめかけていたのに、座席を確保してくれたおかげで本当に思い出に残る素晴らしい時間を過ごせました。父も幸せだったと思います。そのお礼が言いたくてご連絡しました。」と。


そんなことを全く知らなかった私は、体全体に衝撃が走った。毎月100名以上のお客様を「さばいて」いた自分は、本来の旅行の価値をどこかに置き忘れていた。この家族はハワイに行きたいのでなく、ハワイで大切な人と時間を過ごすことが本来の目的だったことをその時になって初めて気付き、目には見えない大切なことがあることをこの家族に教えてもらった。

実際の旅行販売の現場では、いちいち旅行目的を尋ねることはあまりないかもしれない。しかし、旅行の本来のニーズとは、言葉には出ない見えないところにあるものだ。それ以来、自分の仕事を変える決意をし、それを「旅心」と名付けて、手帳やいろんなところに書いて、忘れそうになると引っ張り出すようした。そのおかげで、お客様のちょっとした表情やしぐさ、言葉の切れ端から、想像できるようになった。お客様を驚させて、感動させることが楽しくなった。もちろんビジネスなので一人一人に多くの時間を割くことは不可能だ。しかし、航空券一枚の手配であっても、「旅心」を忘れないように努力した。「この人はなぜ旅をするのか?」と毎回、自分に問いかけて仕事をするようになってから、お客様に感謝の気持ちを伝えて頂く機会が増え、仕事のやりがいも増していった。

実際、旅行は人生のライフステージの節目で利用されているものだ。誕生日はもちろん、還暦、ハネムーン、プロポーズ、卒業旅行など大切な人と過ごす機会として、はたまた生き別れた家族を偲んで、自分に自信をつけるために等自分との対話というのもある。いずれにせよ、とても大切な時間を提供しているのだ。


しかし、実際の旅行業務の80%はデスクワークだ。接客応対は全体の時間としたら決して多くはない。また多くの業務が裏方であり、直接お客様に接するのはごく一部である。特に最近は店舗販売よりもオンライン販売が増えて、その傾向はさらに増している。しかし、どれだけ旅行の手段がテクノロジーに置き換わることがあっても、人が旅行をする本来の目的が変わるとは思えない。ほとんどのデスクワークと残り少ない接客対応が、旅行業であるというのは、表層の認識であって本質ではない。なぜなら、旅行業のやりがいは、「お客様の幸せの時間を提供する」ことにあるからだ。


多くの人々の人生に関わる幸せの体験価値を提供していることを、観光産業に関わる人は決して忘れてはいけない。観光産業は、「下に見られる」「駒使いされる」という人は、その本質が見えていない人だ。何百人、何千人、何万人と取り扱うと、どうしても「旅心」を忘れてしまう。しかし、8割のデスクワークになっても、8割がオンラインになっても、2割は「モノではなく人間が旅をしていることを想像できる人」でなければいけない。


観光の現場にいる方々には、私以上に旅心を思い起こすエピソードを持つ方がきっとたくさんいることだだろう。そういった人の幸せを創る仕事であることを、もっともっと多くの人々に伝え、誇りをもって、進化発展してて欲しい。



鮫島卓研究室 SAMETAKU-LAB

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