「絵はがき」と「インスタ映え」視覚が優越する観光

日本三景の天橋立には、股のぞき台というお立ち台がある。この地の名称である「天にかかる橋」の所以をその身ぶりで再現しようとする行為は、いつから始まったか定かではないが、昔から天橋立と言えば、というくらい有名なお決まりの身ぶりである。私が以前訪れた時にほとんどの観光客が「股のぞき」をして、さらにその身ぶりを写真におさめていた。

帰ってからある調べ物をしていると、着物を着た女性か「股のぞき」をしている絵はがきに出会った。随分昔のものであろうが、昔の旅人も同じようなことをしていたのかと思うと不思議な気持ちになる。

なぜ人は、天橋立で「股のぞき」をして写真におさめるのか。天橋立に限らず、多くの観光地で同様のお決まりの身ぶりがある。イタリアのピサの斜塔では、傾いている斜塔を支える身ぶりをして写真におさめるお決まりのポーズがある。パリのエッフェル塔では塔の先端をつまむお決まりのポーズをして、写真におさめる多くの観光客がいる。観光地でお決まりの身ぶりで写真におさめるのは、観光客としての気分を味わい、そこを訪れた証として思い出に刻み込む儀式化をしていると言えるだろう。そして、絵はがきを出すことも観光の儀式とも言える。

絵はがきの普及に関して、民俗学者柳田國男は「風景はもと今日の食物と同じように、色や形のあとに味というものをもっていたのみか、さらにはこれに伴うて、いろいろの香りと音響の、忘れがたいものをそなえていたのである。それを一枚の平たく静かなるものにする技芸が起こって、まずその中から飛び動くものが消え去った」と述べている。(『柳田國男全集第5巻』)目は表面的で大雑把な全体をイメージで把握するには便利だが、他方でその強いイメージに人は惑わされ、騙されもしやすい。フィールドワークを重視した「目を疑い、耳で疑う」柳田國男らしい言葉である。

電子メールやインターネットがない時代、旅先での経験を友人や家族に伝える手段は、絵はがきだった。それを受け取った人は、送られた一枚の写真からその地のイメージを形成する。つまり「風景の複製化」である。
近年の「インスタ映え」は、ハガキからインスタグラムにメディアは変わったが、「観光の儀式化」と「風景の複製化」という意味では本質的になんら変わらない。絵はがきとインスタ映えは代替関係にあると言えるだろう。
視覚が優越する社会とは、何を意味するのか。観光という現象は、私たちの社会を見る新しい視点を提供してくれる。

鮫島卓研究室 SAMETAKU-LAB

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